まいづる 細川幽斎 田辺城まつり
細川藤孝(幽斎)(1534〜1610)
戦国時代は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた戦国武将であり、
古今伝授の第一人者として皇族とも深く係わった歌人でもある。
天正8年(1580)、織田信長の家臣であった明智光秀の援軍と共に、
丹後国を平定し、11万石を拝領して宮津城に入城した。
天正10年(1582)の本能寺の変では、明智光秀の要請を断って、
所領を長男細川忠興に譲り田辺城(別名舞鶴城)に隠居し幽斎を号した。
忠興の正室(細川ガラシャ)は明智光秀の三女玉子であったが、
離縁させて光秀との関係を断ち切ったとも言われている。
慶長5年(1600)7月、
徳川家康の援軍として会津に出陣中であった細川忠興の留守を狙って、
西軍石田三成傘下の小野木重勝らの軍勢15,000に攻められた幽斎は、
本城の宮津城を焼き払い、わずか500の兵で田辺城に篭城した。
古今伝授の道が絶たれる事言を懸念した後陽成天皇の勅命により、
50日以上の篭城戦が終結し、9月6日に開城。
関が原開戦のわずか9日前であったと言う。
関が原に於いても忠興は石田三成の本隊と激戦を交わし、
家康の勝利に大きく貢献、豊前小倉藩39万9000石に加増移封された。
今も熊本のお殿様と呼ばれる細川家の礎を築いた。
田辺城跡舞鶴公園内、心種園の古今伝授の松の下で行われた小芝居です。
古も 今も変わらぬ 世の中に 心の種を 残す言の葉
会場ではよさこい乱舞や韓国舞踊が行われ、
五月晴れの爽やかな空の下で賑やかな1日でした。
19.05.27 田辺城跡舞鶴公園にて
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